文系人間の IT物語                     



プロローグ

  いまさらパソコンのすすめといわれても・・・というキミに。世の中PentiumW、クロック数1.5GHz、メモリ256MBが標準。インターネット 常時接続は当たり前なんだよな。ま、スペックはちょっとくらい古くてもいいか。でもこんなIT環境はBasic から始めた私の世代には夢のようなものなんだよ。そこでだ、大学に入学したてのキミは、魔法のハコでなにをしたらいいのかな。典型的な文系人間の私、高性能機の前でいまだにヨタヨタしている私からぜひともひとこと。それはソフト使いのプロになってほしいということだ。文書・画像・音声などなんでもいい、身近な情報を自在にあつかうこと。それだけじゃない、それらをデータベース化していつでも引き出せるようにしておくこと。ちょっと堅苦しくいうと、自分で作って整理した情報を豊かな知的生産の手段とするんだよね。もちろん遊んでもいい。だけど自分の情報が大切なように、他人の知的財産(著作権)は尊重しなければいけないよ。ネチケットもね−

 これは、新入生向けのパンフレットに記した「パソコンのすすめ」の一節である。たしかに高度情報社会の訪れを実感する昨今、ひと昔前からすれば夢のような機器環境と、ネットを通じた情報の氾濫には驚くひまさえなくなった。では、大学ではどんな対応がなされているのか、あるいはなされるべきなのか。いささかの手前ミソをお許しいただいて、身近な例をながめてみよう。ちょっとシャレていえば「私のIT物語」である。

一 ワープロの凋落

 かれこれ一〇年ほど前になるだろうか。ようやく普及しだしたワープロに触れて、キー操作から日本語表現の仕方まで、数晩とっ組んだ記憶が懐かしい。当初の画面は八文字表示、ほどなく四行から一〇行、さらに二〇行へとまたたく間に拡大してくれたが、機械まかせではなくアタマも相当に使わなければならなかったように思う。それでも大げさにいえば未知との遭遇 一体全体フロッピィなるものがどんな開発プロセスをへていつの間にできていたのか、CPUの作動原理はどうなっているのかなど、興味と感動はつきなかったものである。

 最初は半信半疑で、どちらかといえば胡散臭い玩具に接するように始めたものの、慣れてくると、これは近未来の文房具だという確信ができ、「さらば原稿用紙よ」ということになるのは自然の流れであった。和文タイプライターと活版印刷しかない日本語ないし日本人にとっては、グーテンベルク以来の快挙だとさえ思えたのである。

 ゼミの卒論集をワープロ編集に切り換えたのが九四年。各社各様の機種をコンバートしてソフト的に統一する必要はあったが、これは克服すべき喜びにすり替えることで解消。紙資源ひいては地球環境云々とは無関係に、紙からの解放感が味わえたし、不遜にも毎年二〇数名の卒論は厚さ数ミリのフロッピィ一枚、しかも永久保存ができるとうそぶいたことであった。

 しかし気がついてみると、ワープロ専用機はパソコンのワープロソフトにとって代わられ、いまでは専用機の制作を打ち切るメーカーがほとんどとなっている。たしかに文書の編集や表現力など、専用機の洗練度は極限にまで達し、工夫をすれば文書のDTPも不可能ではなくなっていた。けれどもワープロはあくまでも日本語のかな漢字変換が主な目的であり、電子機器の世界標準の使用法ではなかった。自由度あるいは付加価値が限られていたということであろうか。

二 パソコンへの転換

 その頃MS−DOSの世界では、日本語入力ソフトの代用としてエディタや表計算ソフト、誕生間もない一太郎、緒についたばかりのDBあるいは図形ソフトがはばを効かせるようになっていた。各社が競って変換効率のいい辞書を搭載し、毎年のようにバージョンアップしてソフトのシェア争いをしていたのはもちろんのことである。

 いまでこそ当たり前のツールになっているが、かつてパソコンは涙ぐましくも奮闘、というより文字通り夜を徹して格闘するシロモノであった。数百数千行のプログラムを書けばパソコン通を標榜できた、あの情報処理教育華々しかりし時代は過ぎた。ユーザインタフェイスを充実させた対話型ソフトの登場で、いわゆる情報技術は普通の人、つまり文系人間にはほとんど無用のものとなったからである。

 むろんパソコンの使用目的の大半を文書作成とする文系では、ワープロ専用機でもワープロソフトでも大きな違いはないはずである。ところが、ソフトがなければただの箱に過ぎないパソコンに、趣味や遊びを含めて大量の実用ソフトが出回り、それらとの自由な連携とくに文系では表計算・データベース・プレゼンテーションソフトが一般的または必須となる とカラー表示、カラー印刷が普通になった。なによりも稚拙ともいえた初期のパソコン通信から、大容量・高速度の情報交換、なかんずく電子メールを当然とするインターネット環境の到来は、専用機のとてもおよぶところではなくなってしまったのである。規格の標準化のもとで器機の高機能化と低価格化が進んだのも、進化の頂点を過ぎたワープロ機と対照的だったといえよう。

三 IT社会と教育研究

 私にとってIT化の契機はホームページの立ち上げである。図1(左側)にみえるように、開設後の数カ月で、私的なものを除く教育研究活動のほとんど全部が収められるまでになっている。多量の古文書を扱う(図2)関係上、画像データが多いとはいえ、3.5GBを超える現容量は、文系個人情報としては途方もないページに成長している。人はいう、かつて機械の奴隷であったお前は、いまは露出狂かと。つまり公的な情報面で私はマル裸に近い自分をさらけ出しているのである。しかし好悪はともかく、情報発信の基本はここにあると思う。提供すべきものは遠慮なく発信し、同時に貪欲に情報を取得するネット社会の醍醐味ではなかろうか。

 もちろん情報は、一人よがりの趣味的なものではもの足りない。HPは掲示板やメールを併用することで、研究会仲間やゼミ生、さらに数百人規模の受講生へ講義ノートを提供し(図1)、彼らからの個人情報を得る場ともなっている。手前ミソというのはこのことで、教育研究の面でまずまず有効利用されている手応えを覚えるのである。

 はじめ研究会活動のために設けたHPは、ゼミ生のページを加えることで教育対応となった。ゼミの卒論集(大学院生の修士論文へ拡大予定)を収録することで、冊子配付の時代は終わり(必要な場合はCD−ROMを提供)、代わってゼミ活動のスナップや伝言・掲示板など、双方向の情報コミュニティへ進化したのが第二段階である(図3)。加えて毎週教室で配っていた講義ノートもHPからダウンロードできる形にしたおかげで、印刷と追加配付の煩雑さからのがれただけでなく、開放された講義環境に向かっている。毎期10回前後の課題レポートの受信態勢はまだ不完全であるが、提出された力作は本人の許諾を得て公表し(図1右側)、大多数の参考にしてもらう 私流の授業改善の第一歩なのである。

四 デジタル・コミュニティ

 このように身辺に招きよせたデジタル社会の到来にW必死でWついていくうち、やはり気がついてみると、それまで他人または業者任せにした作業も、全部自分でしなければならないことになっていた。体よくいえばアウトソーシングの対極、自己作業の地獄に身を投じていたのである。これを「ねばならぬ」と考えるか「できる」と考えるかはその人次第である。周知のように大学の研究室にセクレタリー機能はほとんどない。人の応接から書類の処理、教育研究に関わる公私の作業は全部自分で「しなければならぬ」境遇からすれば、一人でほとんど全ての事柄が「できる」IT環境の出現は、大きな福音と受けとめておきたい。

 しかしながら、情報技術は利便性と専門性と、なによりもそれに要する時間を求めて際限なく深化・肥大化する傾向がある。一時期いわれた秘書不要論は、いまや強力にデジタル武装した別次元のパートナーを必須とするようになっている。データの取得と加工をベースとし、もっとも望ましい形での公表 私の場合、SEクラスの卒業生と大学院生のグループから大いなる協力を得ているが、その場にはかつての師弟関係のような上下ともいえる関係はなく、ともに工夫を凝らす新しいデジタル・コミュニティが生じつつある。

エピローグ

 このように振り返ってみると、大学という環境でも、あるいは大学でこそデジタル化の波は際限なく展開していくようである。どこまでそれに付き合うか。新入生に勧めたWソフト使いのプロWたとえ市販ソフトの掌で踊るだけであっても、必要な作業が従来方よりはるかに拡大して効率的に実現できればいいではないか、もうそれでいいじゃないかと、もう一人の私が囁いている。

 デジタル出版は現実のものとなりつつあるし、無機質でない仮想授業バーチュアル・ユニヴァーシティも不可能ではない。しかし、である。便利なツールを手放すつもりは毛頭ないが、まなじりを決してハードやソフトと格闘するかたわら、そろそろ自分のIT物語にはキリをつけたい誘惑に駆られるのも事実なのでである。古きよき原稿用紙に戻ることはないものの、デスクサイドで埃をかぶっている哀しき専用機に目をやるとき、あの長閑な時代にもどりたいそれは見はてぬ夢なのであろうか。